2011年1月2日日曜日

更新通知 [競馬予想の競馬口コミ情報01]

keibacomi 様

▼競馬予想の競馬口コミ情報01
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▽『甘露の法雨』を詠む 〔2〕 (Jan 1, 2011 10:09:44 PM)
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生長の家の大切な聖典の一つ『甘露の法雨』を詠むことで、
また、ただ持っているだけで数々の奇跡が起きたと
たくさんの体験談が月刊誌に掲載されています
病気、癌が治ったり、家庭不和が救われたり、事故から助かったなどと
しかし、最近の教団でそんな体験談は出てこないですねぇ・・・
開祖 谷口雅春師がやさしく『甘露の法雨』を説明してあります。
◆物質には痛覚がない
「神の力」を抽いてしまったら、物質そのものは「ない」のだから、「物質そのもの」には何等感覚がない。
だから演壇の机をガンと殴ったところで痛いとも言わんし、ナイフで削ったところで痛いとも言わん。結局物質は感覚がないものであって、その感覚のない物質でできている肉体が、例えば神経痛で痛いと云うのは、それは心が痛むので物質が痛むのではない。
だから「物質は畢竟『無』にしてそれ自身の性質あることなし」と示されているわけですね。
この感覚のない「物質」が「肉体」としてあらわれて「痛む」と感じるのは、「これに性質を与えるものは『心』にほかならず」と示されているのです。
物質それ自身は痛いも何も無いのに、それは〃痛い〃と云うような感覚を与えるのは『心』が与えるのである。従って肉体の健不健は『心』によって左右されるわけであります。
それで『甘露の法雨』は次の如く説いているのです。
◆肉体に心がなければ病気は起らぬ
『心』に健康を思えば健康を生じ
『心』に病を思えば病を生ず。
そのさま恰も
映画の舞台面(スクリーン)に
力士を映せば力士を生じ
病人を映せば病人を生ずれども
映画のフイルムそのものは
無色透明にして本来力士も無く
病人も無く
ただ無色透明の実質(フイルム)の上を蔽える
印画液によりて生じたる色々の模様(くもり)が
或は力士の姿を現じ
或は病人の姿を現ずるが如し。
物質は本来『心』がないから、自分の欲する方向又は欲する処へ、物質そのものは勝手に或る形をとるために自動して行って列(なら)ぶと云うことは出来ないのです。物質それ自身だけでは動けない。
例えば、此処に紙という物質があって、それを一定の形の書物なら書物と云う形に纏めるには、紙という物質以外に心あるものが来て、それを適当に断裁して、綴じると云うようなことをしなかったら書物にはならないのであります。勝手に物質が集って、そして本になりましたと云うようなことはない。
だから人間が一遍「健康体」に造られてオギャァーと出て来たならば、それが病気になるとしたならば、物質が勝手に動き出してその細胞の配列を紊(みだ)したのではない。
『心』が肉体の物質細胞を列び変えさせて病的症状を配列したのだ、と云うことに結論されるわけであります。だから
『心』に病を思えば病を生ず。
そのさま恰も
映画の舞台面(スクリーン)に
力士を映せば力士を生じ
と示されている訳であります。
『心』は心のフイルムと称して、フイルムに喩えてありますが、心のフイルムに描いた通りに形の世界に現像されて来るのであります。
例えば心のフイルムに「私は六十歳で皺苦茶の顔をしているのが当然です」と心に描いたら、そしたら皺苦茶の顔が現実に出て来るということになるのであります。
◆容貌に老年を刻むものは何か
大体、皆さんは一家族が全部同じお料理の食物を食べて居られると思いますが、それにも関らず、或る人は同じ食べ物を食べながら非常に生々とした二十歳のお嬢さんみたいな顔の皮膚を造り、そこのお爺さんは「私の顔の皮膚は七十年前に拵えて、日光や雨風に七十年も晒しているから、渋紙色になって皺苦茶になるのは無理はありません」というような皮膚を拵えているのであります。
食べ物が同じですから原料たる成分も同じです。物質的原料は同じであるが、物質は自分の意志で動いて形を変化することはない。それを何が変化するかと云うと、『心』が変化するのだというわけであります。
一家族が同じ食べ物を食べているのに、皆んな一つ一つ異なる容貌になり、異なる皮膚の色になり、異なる皺が出来ると云うことは、それが『心』によって支配されているからであります。
そういうわけで、生長の家の教えを受けた人は、大体普通よりも非常に若い身体をしていますね。 「人間は神の子で老いないものである」という信念を多少とも、普通の人より余計に持っているから、普通よりも非常に若々しい顔をして居るのです。
心の波が食べ物から摂取した成分を新たに置き列べる時に、そう思った通りの形にならべるわけなんです。
大体吾々の皮膚は、毎日洗ったり、タオルで拭いたり、シャボンでこすったりして皮膚の表皮は、毎日少しずつはげていって、毎日中から新しい皮膚が出来る。だから七十歳の人でも七十年前の〃面の皮〃なんてありはしない。みんな赤ん坊の皮膚みたいなものだ。
それなのに、そのように、年寄った姿に現れるのは、それは心の中に 「私は何歳だからどの位皺が寄らねばならぬ」と掴んでいるからこそ「自分は何歳だ」と覚えている。
そして多少ともその年齢が肉体に現れずには置かないのであります。
◆人類意識とは何か
大体宇宙には、人類共通の意識 — 人類意識というのがある。
何歳といえば、どれ位に皺が寄って、どれ位の容貌になるのであるということを心の奥底に人類の殆どすべてが信じているのです。の人類全体総計みたいな心が人類意識であって、人類全体の心の波として拡がって、充ち満ちているんです。
この人類意識の中に吾々は泳いで生活しているのです。人類意識は〃海の水〃みたいなものである。 その中に夫々の生きた魚がこう泳いでいる。一つ一つの魚には心があって自分の好むように動いているが、波の動きに影響されずにはいないのです。
魚に喩えたのは人間です。一人一人に個人の心がある。併しその個人の心が泳いでおっても、人類意識の波に動かされずにはいないと云うわけで、多少とも動かされる。だから人類全体が「何歳になれば、どの位人体は老化する」と信じている限り、その信念に動かされる程度にしたがってその人の肉体は老化するのです。
けれどもこの波に動かされないようにする程度に従って老化が防げるのであります。即ち常に「人間は神の子で、完全である。神は永遠の生命であるから、神の生命を宿し生まれた人間は老いない」と云う意識を強く持っていると、人類意識の波に動かされない。
だから神想観をして自己の生命が〃神の生命〃であることを念ずると長く若く居られるのです。
〜 つづく

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